今回は「いじめ」に関してです。
世の中には「いじめ」をコミュニケーションの手段として選んでしまう人がいる、
というのは殆どの方が確認済みだと思います。せっかく言葉を扱う人間に生まれたのだから「いじめ」ではなく、「話し合う」という手段を選べればいいのですが、
現代社会は、選択肢を間違いやすくもできているのかもしれません。子ども社会の問題かと思ったら大人社会でも「いじめ」があると言いますもんね。
パワハラ、毒親、ネット上の書き込み、なんて問題も「いじめ」と原理は同じかなと思います。
ある一つのものの見方ですが、テストや成績や年功序列のある世界ではヒエラルキーができ易く、他人を自分と比べての上下で見てしまい、「強弱」関係が成り立ち易い、すると本来は魚のメジナがしそうな「いじめ」が人間社会に起きてきてしまうのだと思います。
※メジナの話はさかなくんさんがしてますので、是非こちらの記事よりご確認を♫
メジナのいじめは「水槽」でのみ起きることで、広い海ではあり得ないらしいのです。
「狭い世界だといじめが起きる」と仮定すると、
現代社会に生きる私たちにとっての「広い世界」とはどんなところなのでしょう?
まず、「いじめ」という手段を選ばない人、それはどんな人?というのを想像してみましょう。
さかなくんさんの記事に一つヒントがあります。
さかなくんさん、さかなに夢中になっていた方の1人ですね。
つまりは「個性を生きる」ということです。
私自身、「個性を生きる」という話を聞いた時、パッと浮かんだのはさかなくんさんでした😄 「あー、個性を生きるとこうなるんだぁ」と思いました。「好きを極めた人」の代表格ですね。
「夢中になる」ことは実は、いじめ問題を始め、現代社会のあらゆる悩みから自分を救い出すことができるのです。
というわけで、何かに夢中になった経験があったり、今現在夢中になれるものを持っている人が広い世界に出ると、それはそれは広がるでしょう✨
広い世界に出る前に、自分にとっての「夢中」を見つけることは必須です。もし「夢中」が見つかれば、さかなくんさんのように、「何故いじめをする人がいるのかわからない」という感性の持ち主になるでしょう。
「自分探し旅」とはよく言いますが、自分の個性をわかっていないと、どんなに広い土地でもいじめに巻き込まれかねません😅
あと、夢中になれる何かを探したり、実際夢中になったりすることは狭いとされている世界でも十分にできます。
日本は狭いと言いますが、確かに国土はアメリカより遥かに狭いですが、広いアメリカに夢中になれる何かを探しに行ったりしなくても大丈夫です。
では、「夢中になる」とはどういう状態でしょう?
あおぞら学校のスタッフに言わせると、「夢中になれる=個性に合っている」ということです。
- 稼げる
- 一番が取れる
- 自慢になる
- 褒められる
- みんなしている
- 負けたく無い
- 上達や成功を自慢したい
のような理由でしていることは、長く続けていることでも「個性に合っていること」とは違うかもしれません。
- 楽しい、好き
- 上達するとワクワクする
- 一緒にできる仲間といる事も心地良い
- 一人で黙々とするのも心地よい
「個性に合っていること」に出会うと、これらのことを感じると思います。
あおぞら学校では常々、後者の体験をしたり探したりすることを推奨しています。「自分の好きなことをしな」と伝えると、
- ゲーム
- おままごと
- 動画鑑賞
- 絵画
などをしている生徒の姿を見ることが多いのですが、これらのことに熱中している生徒の姿は実に未来への安心感があるのです。
逆に同じゲームや絵画をするにしても、人につられたり、人の気を引こうとする行動を取る人には不安感を覚えます。「このまま生きていくのは辛かろうに😢」という感じ。
「辛さ」を凌ぐために「いじめ」をするというのもまた定説です。
というわけで、他人と比較などしないで、自分のことに意識を向け、「自分自身の好きなことをしよう❗️それが私の人生だ♫」と決意すればいいだけの話です😊
これがまた難しい!と返ってくるのが現代社会ではありますが、
才能とか豊かさとか根性論とか抜きに誰でもできるシンプルなことなのです。
なので、あおぞら学校に入学するような年齢の方は若いうちに「自分の個性に合ったこと」、つまりは「夢中になれること」を見つけるチャンスがあるんです😊
特にあおぞら学校は1日の活動スケジュールの大半を個人の自由にできます。個性に合わないことをしなくてもいいという環境はかなり「個性を生きる」には有利なのです。
では、あおぞら学校では絶対にいじめが起きないの??
と聞かれれば、
「Yes」に近い世界ではあると思います。
なぜなら「個性を生きる」ことをする学校だからです。ですが「個性を生きる」ということが腑に落ちていない状態の生徒がいたら小さなことでも「いじめ」は起きるでしょう。
開校して2年が過ぎましたが、「個性を生きる」ことが腑に落ちていない生徒もいました。
むしろ、全員の生徒が入学時点では腑に落ちていないです。
それでも「個性を生きるつもりがある」という生徒は最初は他人の目を気にしたり、他人にちょっかいを出したり、他人を一方的に責めるような態度をとることもありますが、日々のあおぞら学校での生活から色々なきっかけを自ら掴み、
大人のスタッフから見て、「自分の個性に関して日々理解を深めているなぁ」と感じるのです。そんな生徒とは一緒に過ごす上でも心地良いです。
例えば、反対意見や新しい意見を言わないといけない場面でも、意見交換をしっかりとしたコミュニケーションが取れます。あおぞら学校の生徒と比べるとかなり大人の年齢のスタッフでも、「どんなこともこの人となら話し合える」と感じ、10歳未満の生徒から安心感をもらえるのです。
残念ながら全員がそうなるわけではありません。中にはマウンティングや他人をディスる、陰口を言う、ちゃんと自分の意見を言わない、嘘をつくなどのことを選択する生徒もいます。
それを辞めようとせず繰り返してしまい、最終的に「あおぞら学校が辛い」と退学した生徒もいます。
あおぞら学校は「個性を生きる」学校なので、他人にベクトルを向けたままだと、楽しい場所にはなりません。
ですが結局、「個性を生きる」のか「他人との比較を楽しむ」のかは選択が自由です。
「個性を生きる」の方を選択したい人はあおぞら学校はまさに楽園ですが、比較をする人にとっては、ここは場違いで、真逆の印象になります。
そしてあおぞら学校は現代では、「いじめの無い世界」にかなり近い存在の一つになります。もちろん「いじめ」だけにフォーカスした学校というわけではありませんが、
あおぞら学校で「個性を生きる」ことの理解を深めて、「夢中になれること」が何かに出会え、実際に夢中になった後、
自分の好きなタイミングで、好きなだけ広い世界に行ってくれれば、見守る立場としてはこの上なく安心です🥰
因みに「個性を生きている」者同士にも競争はありますが、やっている本人達も楽しそうだし、観客がいれば試合に感動が生まれたりします。個性と別なことをしている者同士のそれとは別物ということですね。
もっと細かいことを言うと、自分の個性に気付いた後、「社会性との調和」って課題もあるのですが、個性を生きている人は息を吸うように社会と調和しちゃいます♫
そこら辺のお話はまた次回!