喜怒哀楽
ってありますが、「どれも優劣無く自分自身に認めてあげる」と、いわゆる「幸せな人生」になるのです😊 だってそれが自分を愛する行動の一つですからね。
ですが、人間の感情の中で感じることが非常に苦痛なものがあるんです。
例えば「怖れ」。
怖れは、なかなか扱いが難しい感情と言えます。
「怖れ」って感じていたくないものですものね。どうにかして忘れたり、「怖くない!」と自分を無理に奮い立たせたくなりますが、
感情に蓋をするようなことって、のちのち膨らんで面倒なことを引き起こす事請け合いです😅
「怖れ」に関して更に厄介なのは、「怒り」に変容してしまうことも多々あるからです。
例えば、
- 他人をとにかく威嚇する
- 怒鳴り散らす
- 嫌がらせをする
などは「怖れ」から逃げるために行われたりします。側から見ると、「この人は怒っている」と見える行動になりがちです。
本人も「怒っている」と言うかもしれませんがそれは第二感情というものです。「怒り」のように見えるけど、「怖れ」が隠れているんですね。
あおぞら学校でも常々、「何を感じるかを大切にして、感情を感じ切る」なんてことが話題になったりしますが、
第二感情の「怒り」に関してはいくら発散してもなだめても、解消されなかったり、逆にトラウマのようになったりします。本当は「怖れ」の感情にアプローチし、感じ切る必要があるので。
何故「怖れ」から「怒り」に変わってしまうかをごく簡単に言うと、
「怖れ、不安、悲しみ、寂しさに直面して感じ切るよりも、怒りにすり替えちゃった方が楽だから」です。
怒って誰かを攻撃すると自分は強いと感じられたりして、「怖れ」から逃れられている気がしてしまうんですね。
「人を攻撃した方が楽」という選択肢をしてしまう人がいじめる側になったり、クレーマーだったり、ちょい前に流行った自粛警察みたいになったりするんですね。
甚だ迷惑であります😓
やはり歳の若い子ども達の方が沢山のことに「怖れ」を感じていると思うので、親としては未解決にしておきたくはないなと思います。我が子がいじめる側になるなんてそれこそ怖いです😢
「怖れを感じるべきではない」「強くあらねば」などの教えの雰囲気で育つと、ネガティブな感情を「怒り」で表現してしまう方向に向かうのではないかと推測します。
厳しい家庭の子が思春期にグレるとか、たまに聞きますもんね😅
というわけで、「怖れ」の感情とは上手く付き合うようにしていきましょう。
個人的には瞑想みたいに、「あー、自分はこんな事やこんな時に怖いって感じるんだね」と俯瞰したりします。
たったこれだけですが、
少なくとも誰かを攻撃しようというエネルギーは湧いてきません。
なので、若い子どもの年齢でもこの位の瞑想は大切だと思います😊
一人で瞑想が出来る様になるまでは親の助けが必要だと思いますが、その手助けの方法は、
「あー、そんなことやそんな時に怖いって感じるんだね」などの言葉掛け、
とか、そんな些細なことの繰り返しや積み重ねでいい気がしています。親子の会話って、何気に世界平和に繋がっているのかもしれません。
ついでに「怒り」の感情ですが、「愛」があるなら時として相手に伝わるように表現した方がいい時や、しなければならない時もあると思います。本当に必要な時にね😌
「愛」についても正しく腑に落とす事は必要ですが、「怒り」を他人に伝える前に、この「怒り」は
・「愛」がベースか
・「怖れ」がベースか
を俯瞰したらいいんです。「愛」にもとづいて行動すれば、何をしても「愛」が伝わりますからね😊