精神病患者とその家族

今から4年ほど前、私(悠介)は東京の内科・精神科のクリニックで働いていました。

そこは精神薬を止めたいのに止めることができない人のための、「断薬」専門のクリニックでした。精神薬の副作用がこれほど辛いこと、それで悩んでいる方がこれほど多いことをこのクリニックの経験で知りました。

現代社会=ストレス社会

ということなのでしょうか。クリニックでは毎日深刻な様子の患者さんとそのご家族がたくさんいらっしゃいます。

こちらのクリニックでは断薬を目指すにあたり、栄養療法、ホメオパシー、キネシオロジー、精神セッションを取り入れていました。私は「RAS」という技法で、患者さんがクリニック卒業に向かえるように精神セッションを担当していました。

断薬に成功してクリニックを卒業となった方もいましたが、なかなか断薬まで辿り着かないという方もこれまた多いなと感じました。

麻薬は怖いということは定説ですが、精神薬の恐ろしさは麻薬とどこが違うのか?という疑問が個人的には浮かびました。

私が気になった事例に、お子さんの相談に親御さんだけでクリニックを訪れるというご家庭がありました。ご本人は家から出られないとのことで、精神薬を服用する本人はもちろんですが、そのご家族の苦悩も凄まじさがあります。

「我が子が40歳になっても家に引きこもっている」「我が子が夜中に叫んだりヒステリックになったりする」「我が子が家で暴力をふるい、これ以上一緒に住めなくなり家族は離れ離れ」「親自身が高齢になり、我が子の面倒を見るのにも体力が限界」

などのお話を問診の中で伺いました。しかも月に何件もこのようなご家族がクリニックに見えるのです。

状況の辛さは痛い程わかりますし、早く断薬に成功して平穏な暮らしがご家族に訪れるといいとは思いますが、どうしたらここまで悲惨なことになってしまうのかという疑問も感じました。

ですが、私自身も「親」なので、クリニックに助けを求めるくらい重症なケースでも、決して他人事ではないのかもしれないと思うところもありました。

問診では度々、他人のせいや運の悪さでこの最悪な状況になったのだという話を聞きます。

例えば、「職場の上司とのトラブルが原因で精神病になった」と問診で答えるご家族がいらっしゃいました。

しかし、詳しく話を聞くとその上司だけが原因ではありませんでした。小さい頃から親から厳しく育てられ、嫌なことがあってもNOと言えない性格、完璧に仕事をこなさないと気が済まない性格、全部1人で抱え込んでしまい誰にも助けを求められない性格、何かあればいつまでも親が守ってくれるだろうという甘えなど、見直さなければいけない点が多々ありました。むしろその上司の存在はあってもなくても変わりはないでしょう。

他人のせいにして、すぐ精神薬に頼って、薬中毒になって、また頼れる何かを探す、という選択をいとも簡単にしてしまう人は、日本には結構多いのかもしれません。

クリニックを受診していたご家庭としては、暴力、虐待をしていたわけではありませんし、大人になったら自立する姿を想像していたようなので、我が子が引きこもりになったり、精神薬の副作用で苦しむという事実は寝耳に水で、とても自らが作った現実だとは信じられないご様子でした。

どこでボタンを掛け違えてしまったのでしょうか。

 

かく言う私自身も、一歩間違うと同じような現実を引き起こしてしまうことも可能です。目の前に起こる現実は全て自分しか創り出せないことは不動の事実です。

私自身は5歳と2歳の子持ちの妻と結婚して、結婚した直後から2児の父になり、その後すぐに赤ちゃんが生まれたので、あっという間に3児の父になりました。

それまで独身一人暮らしが長かったので、子育てど素人の私は子ども達の言動にしょっちゅうイライラしていました。

例えば、お風呂に入って欲しいときにお風呂に入りたがらない子どもには、「いいから入りなさい!」と怒りのエネルギーをぶつけて入らせていました。

子どもとしては、「今他の事をしているのに」「昨日も入ったのに今日も入るの?」など入りたくない理由がいろいろとありました。しかし、入らないと私が怒るので、仕方なく嫌々お風呂に入ります。

そのような怒りのエネルギーで接すれば接するほど、子どもは父親の言うことを聞かないと怒られる、怒られたくないから従う、という意識で行動するようになってしまいます。

これは恐怖で支配する「恐怖子育て」です。子どもとしては不満がつのるばかりで、信頼関係はどんどん崩れていきました。最悪です。

 

「もっと子どもが納得して動けるような言い方にしないとダメだよ」と妻から何度も言われたのですが、私自身の父親もまた「恐怖子育て家」でしたので、無意識にも自分が受けた子育てを我が子にもしてしまっていました。

ちなみに私が子どもの頃は、洗濯、皿洗いは子どもの仕事。ワークブックの勉強を毎日する。ワークブックが終わったらゲームは1日1時間まで。ゲームソフトは1年にひとつまで。お菓子、ジュースはほぼ禁止。1週間に本を3冊読んで感想文を書く。習い事を週に2日。部活動では集団スポーツを絶対にする、などのことを習慣としてきました。

「なぜ、これらのことをしなければいけないのか」を納得したことはなく、「親に怒られたくない」という一心で頑張ってきた過去があります。

習い事や読書の習慣で身についたこともありましたし、父親としては「我が子のため、これが愛情」と思っていることも知っていましたし、優しい一面もありました。しかし、私の幼少時代は常に何かに追われているような感じがあり、「怖かった」「嫌だった」「自由がなかった」という記憶がたくさん残っています。

更に心の奥では「病気で倒れたら全てから解放されるなあ」という観念がありました。しかも実際に原因不明の体調不良で入院した経験もあります。

とはいえ、私が親からどのような育てられ方をしてきたかというのは我が子には関係のないことです。何事も他人のせいにせず、我が子はひとりの人間として対等に向き合うことが親の務めなはずです。

妻に指摘されなければ、私も無意識のうちに我が子にも「嫌だった」と思わせるような子ども時代を過ごさせてしまったり、少し道を外したり拗らせたりすれば、クリニックに通っていた人たちと同じような状況になってしまっていたかもしれません。

 

というわけで、「恐怖子育て」は一つも良いところがないのですが、私の親の更に上の世代は「もっと厳しかった」という話もよく聞きます。お国柄なのか、まだまだ根深い歴史の悲しい部分を感じます。

振り返ると、私は「自分の個性に基づいてるからしている」と言えることはほとんどない状態でした。

親元から離れても、先生のため、友達のため、先輩後輩のため、会社のため、恋人のためと自分の本音とは裏腹に他人を意識し、自分をすり減らすということを30年近くし続けていました。そして同じような生き方をしている人は日本には本当に多くいます。同時に「恐怖子育て」もまだまだ多いのです。

そして、「恐怖子育て」は子どもを恐ろしい精神薬の副作用から抜け出せなくさせる大きな原因になり得ると私は考えます。

これは、親も子も「個性を生きる」ことから遠ざかってしまっているがために起こる問題なのです。

私が勤務していたクリニックは「本当の自分が何か分からない」方で混み合っている、そんな風にも見えました。もし、クリニックの患者さん方も、子どもの頃から「個性を生きる」ことができていたら、こんなことにはなっていなかったはずなのです。

我が子が「個性を生きる」ことができるように子育てをすることは親の責任だと私は思います。

と、偉そうに言いましたが、このことに気付けたのは、私がクリニックで提供していたRASセッションを私自身も受けたことが大きく影響しています。

セッションでは「自分の個性」について深く考えたり気付けたりします。その中で「恐怖子育て」をしても自分の個性を生きることにはならないと気付き、「恐怖子育て」以外の方法ははっきり言って知らなかったのですが、セッションを受けてからは「親子それぞれが個性を生きるためには」という視点で子どもたちと接するようになりました。

子どもたちと接する時に「イライラしてしまう」という現象は、親自身が「個性を生きる」ことを意識すると不思議と消失して、穏やかに物事を捉えられるようになります。子育てをする上で親の心が健やかだということは、子どもにとってこれ以上の安心はありません。

セッションの影響は子育てだけでなく、働き方、食事、休息、買い物、交友関係など日常のさり気ないことにも違いが出てきました。それはちょっとした違いで他人から見ても大幅には変わらないかもしれませんが、私自身が感じる幸福度は以前と全然違うのです。

つまり、「個性を生きる」とはこんなにも幸せを感じることなのかと思い知らされました。

我が子をはじめ、関わりのある方がみんなこの幸福感に包まれて生きてほしいという願いが湧いてきました。

 

今現在、何かに悩んでいたり、納得のいかない状態にある時は「個性と違っているよ」というサインなのかもしれません。その時は迷わず「あおぞら相談室」にいらっしゃってください。

どのようなお悩みでも必ず解決する方向に向かいます。なぜなら、目の前に起こる現実は全て自分しか創り出せないし、自分で全て解決できることなのです。

「自分自身で解決する」という作業もある意味「悩む」のですが、薬に頼ろうというアイディアとは全く違います。

あおぞら相談室のセッションでは、クライアント様が自分自身で問題解決できるようになるまで心の通訳をします。筋反射、眼球運動という特殊な技法は使いますが、それだけで生き方や世界観がガラっと変わるという経験をされた方はたくさんいらっしゃいますし、私もその1人です。

私自身、まだまだ精進させていただきたいと思いますが、家族がお互いを幸せにし合う関係でいられる今は本当に幸せだと感じるのです。