アドバイスとクソバイス

世間話をしてるだけのつもりがいつの間にかアドバイスされたり、

頼まれても居ないのについつい「もっとこうすれば?」的ことをアドバイスしちゃう事ありますよね。

それ、かなりの確率で「クソバイス」、つまりウ◯コ💩を投げつけられたり、投げつけたりするのと一緒ですので、マジで気を付けなければいけません。

クソバイスはまともに喰らっては行けませんし、人様にウ◯コを投げつけるなんて、無意識だって絶対やっては行けませんよね。

でも本物の「アドバイス」はちゃんと受け止めなくてはいけません。アドバイスを無碍に扱うなんで罰当たりなことこの上ない事です。

また、もし目の前に自分のアドバイスで助かる人がいるなら惜しまずアドバイスをしなければなりません。

というわけで、今日で「アドバイス」と「クソバイス💩」をしっかりを区別できる人になっちゃいましょう!!

まず、アドバイスは「メタ認知」ができている人がすべきなのです。

今のところ日本では義務教育を受けてもメタ認知をコミュニケーションに使えている人はごく少数で、学校教育の範囲外のことになります。

メタ認知(metacognition)とは、自分の「認知」そのものを客観的に捉え、理解し、調整する力のことです。簡単に言うと、「自分がどう感じているのかを自覚する力」です。

噛み砕くと、自分を正しく実況中継しているみたいにする感じです。

このメタ認知をしながら相手と会話ができれば、相手にクソバイス💩をすることは無くなります!無くなるのです!!

ですが、相手がメタ認知をしていなければ、どんなにきちんとしたアドバイスでも、ムッ😠とされることもあるんですけどね。(このメカニズムは後半で。)

まずは「メタ認知」のHow to を説明していきます。目に見えないので言葉にするのはなかなか難しいですが、今日からやってみましょう。

例えば勉強なら、
「この問題はなんで出題されてるのかな?」
「自分ならこんな問題を出題したいな」
「なんで間違えたのだろう?」
「なんでこの評価なのだろう?」

という発想ができる人はメタ認知初級クリア!学習のメタ認知は学校で育めるメタ認知なので、高校生くらいまでに、少しですが、できるようになるでしょう。人によっては、学校に行っても全く育まれない人も多くいます。

メタ認知ができない人は、

「とりあえず正解したい」
「出題側の意図なんて考えたこともないし、想像もつかない」
「こんな難しい問題、間違ってもしょうがない」
「難しいテストを出題されたから、成績が低くなっても仕方なかった」

みたいな発想になります。さらにメタ認知ができていないと焦ったり、イライラしたり、モヤモヤしたりと、「感情の渦に飲み込まれる」状態になります。
そうなると、他人のせいにして、自身の成長が見込めないので、同じような失敗をして同じような成績に留まります。

というわけで、自分のことを成長させられない人が他人にアドバイスするなんてありえないですよね。

クソバイスの正体は、
「メタ認知できない人が個人主観でするアドバイス」

ということです。

更に自分の感情をメタ認知すると、コミュニケーションも深くなります。特に難しいのが「怒り💢」の感情のメタ認知です。

「この怒りはどこから来た?」
「怒りと悲しみが同時にあるな」
「そのせいで体がこわばってストレスかかってるな」
「そのせいで涙も出ちゃう、流しとく?」
「感情をこの後どうしようかな」

など「自分」=「感情」ではなく、「自分」が「感情を見ている」と認識して、「今、怒っている“自分”がいる」と、まるで、別室モニターから自分を見る感じです。

我ながら訳わからなくなることを言っていますが、メタ認知は育まないと育たないものなので、自主トレすればすぐに分かることではあります。

自主トレ方法は人それぞれで良いのですが、すぐ調べられるし、方法は簡単です♪(そのうちメタ認知トレーニングについても書くけど、調べてみてね🎶)

怒りの感情をメタ認知できない人は、
・あだ名が瞬間湯沸かし器
・すぐ顔に出る
・すぐ泣く
・急に無表情になって、耳もシャットダウン
・悪態をつく
・急に逃げ去る
・急に黙り込む

などの行動をとることが予測されます。小さな子どもならわかりますけど、大人だったらかなり幼稚な手段ですね。つまり、「それってあなたの主観ですよね」って話がこれです。

そして、「なんでそうなったの?」と聞いても、

「わかんない」
「なんかイライラしちゃった」
「なんか悲しかった」

と自分の心について説明ができなくて、相手は更に混乱してしまいます。

なんだか迷惑ですよね。自分をメタ認知しない大人が主観を押し付けるって、ハラスメントじゃんと言ってしまいたい。

対して、自分の感情をメタ認知している人は怒りの感情を感じていても、淡々とそれを語ることができます。

「それを言われたので私は傷つきました」
「その後悲しい気持ちにもなりました」
「今後どうしたら良いか話し合いたいです」
「嫌な気にさせてしまうかもしれませんが、大切なことだと思うので言います」

など、言動に説明が着くようになります。

学習やコミュニケーションはメタ認知がかなり助けになり、欲しい結果がきっと手に入ります♪

更に「メタ認知のメタ認知」もあって、その先「メタのメタのメタの……」と続くようです。この域はまだ研究(独自)中。

でも、現在「メタ認知」をしていないなら、メタ認知をしてからの伸び代はすごいものです。

話をアドバイスとクソバイスに戻すと、

メタ認知で捉えた視点から生み出されたものが「アドバイス」として成立するんです。
それでも100%完璧とかではないので、やはりアドバイスをする時は細心の注意を払ってすると認識しとくのが良いですね。

それに対し、クソバイスはなんですか😩
メタ認知できない、つまり、

「自分の感情コントロールも俯瞰もできなくて、自分で自分を成長させることのできない人が、少しでも人より優位に立った気分を味わいたい」

って感情が引き起こしたウ◯コ💩のみたいなアドバイス、それが「クソバイス」ということですね。

しかもですよ、クソバイスする人に限って、メタ認知からの正論アドバイスは聞かないんです。

感情で受け取ってしまうので、「うざい」くらいの主観処理しかされないかもです。そんな相手にアドバイスをする時は覚悟が必要ですね。

最後に、「これはちゃんと聞いとかなきゃいけないアドバイスだ」ってことを認識するには、自分もメタ認知について理解が必要ってことですね。

メタ認知ができている人だって、本当のことをグサっと言われて傷つくことだってあるでしょう。でも、まずはメタ認知で理解しようという作業を脳がするので、
ムカつくのは、いざそれがクソバイスと脳内で認定できてから。同時にそれがなんで、いかに「クソバイス」なのかの説明つけて実況しましょう。

最初はこの認識に時間が掛かってしまい、
「あの時こう言い返せば良かった。」と悔しく思うこともありますが、

メタ認知もせず、咄嗟に言い返してしまうよりも上級者と思いません??

メタ認知できてない人は、まず「ムカつく」っと脳が処理しちゃうのでしょうね。子どもの頃からずっと変わらずに大人になることも可能なのです。

メタ認知は、まずはその存在を知ることが重要ですが、結構よく使われる言葉でもあります。ちなみに、保育士試験の教科書には出てきます。

とはいえ、育み方はよくわからず、メタ認知できないまま子育てをして、メタ認知できないまま子どもが苦しむって構図、

こんな構図は色んな場面で浮かびますね、会社でも学校でも、スポーツチームでも。メタ認知できないもの同士では泥沼から抜け出せないのです。

片方だけがメタ認知できているだけで、話し合いや対人関係は変わります。

メタ認知できているもの同士の間には「阿吽の呼吸」が生まれたりもします。

そうなるとメタ認知ってかなり気持ちがいいものなのです。

クソバイスはかなりムカつきますが、メタ認知できていなかった頃の自分はきっと、堂々とクソバイスしたことですし、一度ムカついた後は、クソバイスしてきた人のことは許しましょう。

 

最後に、↓ここから先は「メタ認知」を使って読んでください。

「メタ認知」は育てないと育ちません。学校教育でも「勉強」の領域のメタ認知を育てるような内容にはなっていますが、集団で一斉にメタ認知を育てるというのはどうやら理にかなっていないのかな?という現状が見えますね。しかも肝心なコミニケーションの領域は学校では「メタ認知獲得」は無理なのかも?って薄々わかりますね。

あおぞら学校と地域の学校の違いはこの「メタ認知の育み」にあるのですね。

精進して参ります。